東京地方裁判所 昭和37年(特わ)558号 判決 1965年9月30日
主文
被告人を罰金五、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納し得ないときは金五〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
被告人に対し公職選挙法第二五二条第一項に規定する選挙権および被選挙権を有しない旨の規定を適用しない。
訴訟費用中証人斎藤しづ、石田よし江、南竹市、島谷秀三郎、山田善二郎、西北良三、水野浩雄、阿部行蔵および須藤研(第二回支給分)はこれを被告人の負担とする。
理由
(事実)
被告人は昭和三七年七月一日施行の参議院議員通常選挙に際し、東京地方区より立候補した日本共産党所属野坂参三に投票を得しめる目的をもって、同年六月二五日右選挙の選挙人である東京都目黒区大原町二五番地斎藤しづ方および翌二六日同じく選挙人である同番地石田よし江方を戸々に訪問し、もって戸別訪問をしたものである。
(証拠)≪省略≫
(適条)
公職選挙法第一三八条第一項第二三九条第三号罰金等臨時措置法第二条(罰金刑選択)、刑法第一八条、公職選挙法第二五二条第一項第四項、刑事訴訟法第一八一条第一項本文。
なおつぎに一部無罪および弁護人らの主張に対する判断につき述べる。弁護人らの主張は多岐に亘っているが、これを要約するとつぎの如くなるものと思われる。(一)本件起訴は政治的目的をもった被告人の不法逮捕を前提としたものであるから刑事訴訟手続の違背として公訴棄却すべきである。(二)須藤研と共謀して斎藤しづ方を戸別訪問したというのは事実に反する、渡辺静江方の訪問は戸別訪問とはならない。(三)公職選挙法第一三八条の戸別訪問の規定は違憲の法条であるから仮に石田よし江方の訪問が戸別訪問に該るとしても右条文が無効となるから本件公職選挙法違反の点は罪とはならない。(四)国家公務員法第一〇二条とこれに基づく人事院規則十四の七は憲法第一四条第二八条等に違反するものゆえ仮に本件戸別訪問が一応形式的には右規則十四の七の投票の勧誘運動に該るとしても結局罪とはならないというのである。
一、まず公訴棄却の主張について判断する。被告人および弁護人らは、本件起訴の前提となった現行犯逮捕は政治目的をもった不法のものである。被告人が戸別訪問をしているとの情報を入手するや警察官はパトカーを多数動員して前示渡辺静江方より出て来た被告人を戸別訪問をしたか否かを確認もせず且又逮捕の理由も告げず現行犯人として不法逮捕を強行したものであり、これは全く被告人らが共産党やその支持者であるとの予断偏見を懐いた結果政治的になされた不当措置であり、これを基にして本件起訴に及んだものであるから、公訴は不適法であり本件公訴は棄却されるべきものであると主張するのである。本件逮捕が現行犯逮捕として認められるか又は緊急逮捕又は通常逮捕の手続によるべきものであったか等の点については、被告人の当公廷における供述、証人石田よし江同渡辺静江同南竹市らの当公廷における供述等に照らし論議の余地なしとしないが、しかしこれは公訴提起の効力とは別個の問題というべきである。裁判所は公訴受理にあたり被告人の逮捕方法の当否を調査すべきものではなく、また公訴の審理後被告人の逮捕方法の誤れることを理由に公訴を棄却し得ないことは刑事訴訟法上明らかである。その他本件起訴が刑事訴訟法第三三八条第三三九条等のいずれにも該当する事由を認め得られないから、弁護人らの右主張は採用の限りではない。
二、つぎに本件が公職選挙法違反に該らないとする主張について判断する。弁護人らは公職選挙法第一三八条第二三九条第三号に規定された戸別訪問の規定は、憲法第二一条第一四条第一五条等の精神に違反し無効のものであると主張する。しかしながら、法律が戸別訪問を禁止するに至ったのは、これを無制限に許せば買収その他不正行為の機会を作り、選挙が情実に基き感情によって左右され、選挙の公正を害する虞を生ずるのを防ぐためであって、この禁遏の結果として言論の自由が幾分制限されることがあり得るとしても、憲法第二一条は絶対無制限の言論の自由を保障しているものではなく、公共の福祉のためその日時、場所、方法等につき合理的制限の自ら存することを容認しているものと考うべきであるから、選挙の公正を期するため戸別訪問を禁止した結果として言論の自由の制限をもたらすことがあるとしても、これらの禁止規定を憲法に違反するものとはいえないと解すべきことは、すでに昭和二五年九月二七日言渡の最高裁大法廷の判決により明らかにされたことであり、この解釈は当裁判所においても踏襲するところである。よって被告人の判示所為は公職選挙法第一三八条に違反するものというべきであるが、本件公訴事実中渡辺静江方における戸別訪問の事実については犯罪の証明が十分でないとの理由で認定から削除することとした。渡辺静江の当公廷における証言によるも、被告人は同女方においては野坂参三に投票を求める発言は一言も洩らしていないことが明らかであるし、被告人は前述の如くその訪問には他の目的も有していたものと認むべきであるから、他に検察官主張の事実を認むべき証拠の存しない以上、右渡辺方の訪問を目して直ちに選挙目的の戸別訪問と断定し難いからである。よって当裁判所は残りの斎藤しづ方および石田よし江方の訪問を戸別訪問と認定することとした。ただ被告人が須藤研と共謀の上の行為とはせず、被告人単独の犯行と認定したのである。つぎにその理由を明らかにする。判示日時の六月二五日午後三時過ぎ被告人が須藤研と共に前示斎藤しづ方に至ったことは、同人の証言、東京管区気象台長作成の回答書等からみて認め得るところである。もっとも須藤研は当日東京大学の講義に出ており、斎藤しづ方に行っていないとの須藤研証人の証言や被告人の主張が存し、これに吻合せる須藤研使用の大学ノートが提出され、その記載中に6/25受講の旨の日付が鉛筆にて誌されあるも、ノートの内容、日付の記載等を検討し、これを右斎藤しづの証言と対比するに、右証拠のみによっては直ちに須藤研が六月二五日斎藤しづ方に行かなかったとの認定の資料としては不十分である。しかしながら須藤研が被告人と行動を共にしたとしても、斎藤しづ方および石田よし江方訪問に際しても何等積極的行為がなく且つ一言も発しておらず、また戸別訪問につき被告人とも相談している証跡も存しないのである。もっとも検察官は、須藤研が被告人と行動を共にしていること自体からして当然に共謀があったものと推認し得られると主張するが、しかし必らずしもそうとは断定し難いのである。すなわち被告人は本件戸別訪問にあたり、別にアカハタ頒布および原水爆禁止署名運動にも携っていたものであり、このことは被告人らがアカハタ数十部を所持し原水爆禁止の署名用紙も持参しておりこれには現実に署名もされてある事実が存するから、戸別訪問を唯一の目的としていたとは断ぜられないのである。検察官はアカハタは古いものであり、しかも前面に大きく野坂参三の写真が印刷されてあり、選挙目的の頒布というの外なくまた署名用紙には鉛筆で数字が書かれてあり、これは訪問先の有権者家族数と合致するものであるから、このアカハタ頒布、署名運動は戸別訪問のための擬装に過ぎないと主張する。なるほど疑えばかかる疑なしとしないが、その解釈は両様にも採れるし、他に検察官主張を裏付ける積極的証拠の存しない本件においては、一応被告人の利益に解する外ないのである。しかるときは須藤研が被告人と行動を共にしたとしても果して被告人と共同して戸別訪問をしたとは断定し難いので、本件は須藤研と離れた被告人単独の犯行と解することとした次第である。
三、ついで国家公務員法違反に該当しないとの主張について判断する。弁護人らは本件において、国家公務員法第一〇二条とこれに基づく人事院規則十四の七の規定は憲法第一四条第二八条等に違反し無効のものである。仮に有効としても、右規則に規定されている投票のための勧誘運動の範疇には本件戸別訪問がはいらないから罪とはならないと主張する。しかしながらこれが違憲に非ずとすることはすでに昭和三三年四月一六日言渡の最高裁大法廷判決により明らかにされたところである。ただ、右国家公務員法第一〇二条および右人事院規則は違憲の譏り高く、強力なる批判の対象になっていることは弁護人ら主張の通りであって、証人中山和久の供述によっても明らかな如く、右国家公務員法、人事院規則の制定の事情その後の経緯、情勢からみて、その合憲性については慎重綿密なる検討をする余地ありと云わざるを得ないところである。しかしながら当裁判所はその検討は暫らく措き、本認定の戸別訪問は、右人事院規則が規制せる投票のための勧誘運動の枠内にはいらぬものと解するものであるから、本件戸別訪問の事実は国家公務員法第一〇二条の違反罪に触れないものと判断したのである。人事院規則十四の七の政治的行為の規定は前示の如く違憲の批判が少なくなく且つ国家公務員の政治活動に関する重大なる制約であるから、その解釈適用にあたっても慎重かつ厳格な態度を以って臨まねばならないものと考える。よって国家公務員法制定の趣旨経緯、公職選挙法第二三九条との法定刑の軽重等を綜合すれば、人事院規則十四の七第六項第八号の投票のための「勧誘運動」をするとは、その行為が、組織的計画的にして継続的且つ相応の規模を有するものと解釈するのが妥当と考える。もちろん投票依頼のための戸別訪問も、その方法規模等において前述の如き組織的計画性を有し持続的のものである限りは、この規定に該当するといい得るも、反面、戸別訪問が散発的にして回数も少なく、相当度の組織性計画性等が見られない場合においては右勧誘運動とは云えないと解するのが相当である。いま本件をみるに、前示の如く原水爆禁止署名運動のためと同時になされた散発的なものであり、訪問先も二軒に過ぎず、その組織性計画性等を推測するには未だ不充分といわねばならない。検察官は本件は日本共産党の組織を有せる計画的な犯行の如く主張するもかかる事実を認定し得る証拠は何等存在しない。以上の如く本件戸別訪問は右規則の勧誘運動に該らないものであるから、国家公務員法第一〇二条の規定に抵触するものとは断じ得ないのである。よって国家公務員法違反の点につき無罪を言渡すべきところ、これは公職選挙法違反罪と一所為数法の関係ありとして起訴されたものと認められるから特に主文において無罪の言渡をしない。
四、終りに犯情について一言する。被告人は国家公務員として永年建設省国土地理院に勤務してその職場に精勤し、その間何ら受刑の事実もなく、たまたま休暇を利用し、原水爆禁止署名運動と共に二日間二ヶ所において野坂参三のため投票依頼の戸別訪問をしたのに過ぎないものであり、これに他の諸事情を勘案しても、検察官求刑の懲役三月は不当に重く、また本件においては国家公務員法違反の点については無罪と解したので、公職選挙法第二三九条の罰条によることとし、その刑中罰金刑を選択するのを相当と認め主文の罰金刑を科することとしたのであるが、諸般の情状に鑑み公職選挙法第二五二条第一項の選挙権および被選挙権の停止はしないこととした次第である。
よって主文の通り判決する。
一、公判出席検察官 山崎恒幸
(裁判官 野瀬高生)